その他

訓人認定のご挨拶

2013年7月16日

この度、“訓人”の認定をいただき、まことにありがとうございます。
自分で物々訓を書くようになってから1年以上が経ちました。
最近、物々訓を書くことで自分の生活観がどのように変わったかについてつれづれなるままに考えてみることがあり、この場を借りて少しお話しさせていただければと思いました。

ひとつは、
同じ内容でも人から直接言われるより「モノ」に言われたほうが、なぜかスッと沁みたり、お互いがんばってるんだなーと感じ入りやすいということがあります。
たとえば(自分の訓を例に挙げると)、

人を集めたいなら、
温かくすること。
―――― こたつ

作者:お題:

これは、人から言われるとやや説教臭く響くかもしれませんが、こたつが言うのだからそれは仕方がないかーとどこか素直に聞けたりするところがあります。
メッセージに「モノ」というワンクッションが挟まることで、マイルドになったりユーモアを帯びたりするのですね。

もうひとつは、
モノからのメッセージを受け止めた人は、次第にそのモノが「ただのモノ」に見えなくなってくるということがあります。これはモノを通して今までの世界がいくらか変容したことを表しています。
たとえば、

何処にも
連れてってくれない日には、
下を向いて立ってます。
―――― 傘

作者:お題:

と、言われると「淋しがり屋の傘くん」という擬人化された像が浮き立ってきて、傘立てに放置されたままの傘に健気さや不憫さを覚えたりしがちです。(覚えたりしませんか?)
こうして身のまわりの景色や彩りが今までといくらか異なって映ることは、少し大げさに言うならば、自分の知覚する世界が重層的かつ多元的に広がったことを意味しています。

そんなわけで、1年余りの経験で思い至った「物々訓の効能」についてお話ししてきましたが、物々訓を通して得られる発見は他にもまだまだきっとたくさんあります。
とてもささいなことですが、こんなふうに生活観や世界観が広がっていくことは、人生にやがて大きな(精神的な)豊かさをもたらしてくれるに違いないと思っています。
物々訓を通して、自分自身、これからも自分の世界をさらに重層的かつ多元的に広げていけたらと願ってやみません。

訓人認定のご挨拶に代えて 一閃